僕らの社会には、いつだって上下関係がついてまわります。
学校、会社、家族、エトセトラ。
これまでの僕たちの常識では、上下関係は固定されたものでした。
教壇に立つ人が先生で、机に座ってその話を聞くのが生徒。
先に会社に入社した人が先輩で、後に入社した人は後輩。
生んだ人が親、生まれてきたのが子供。
という具合に。
先行者利益とでもいいましょうか、社会に先に参加した人たち―先輩たち―の下に後輩である僕たちは位置しているんです。
でも。
僕のこれまでの人生では、それを覆すことがたくさん起きてきました。
先輩が後輩になり、後輩が先輩になる。
上下の関係が逆転するような場面にいくつも出会ってきたのです。
学生時代働いていたアルバイト先で、僕はバイトの中では誰よりも長い期間働いていました。
でも、僕自身は自分のことを先輩だとは思っていませんでした。
だって僕は後輩たちに何も教えてはいなかったから。
むしろ僕がいろんな人たち―お客さんや正社員の方や後輩のバイト仲間―から教わってばかりで、気持ち的には自分の方が後輩なんだと思っていました。
でも僕が学校を卒業してバイトも一緒に辞める時、職場のバイト仲間たちが僕の送別会をしてくれたんです。
会の最後には(サイズこそ合っていませんでしたが)当時僕が好きだったポールスミスのベルトをプレゼントしてくれました。
その時、僕は感じたんです。
「ああ、僕はみんなから色んなことを学んでいたけれど、僕自身も気づかないうちに色々なことを教えていたのかな」と。
僕は後輩(少なくとも先輩という意識ではなかった)でいたつもりだったのに、実は先輩でもあったのです。
この共同ブログでも同じことです。
僕は文章は誰よりも下手くそですが、他の人には話せないことをみなさんにお話しすることができます。
それは僕であればファッションのことだったり、電子制御工学(ほとんど忘れてますが)のことだったり、精神病のことだったり。
僕だけの、ユニークなものを語ることができます。
そしてそれを適切なかたちで表現できれば(これは文章をうまく書くこととは関係がありません)僕の経験が誰かの学びになるんです。
僕はほんの一瞬、しんがりの読者さんたち、しんがりの参加者さんたちの「先輩」になるんです。
でもその直後、僕は同じ場において「後輩」になります。
ほかのしんがりの寄稿者さんが書いた、その寄稿者さんにしか書けない文章を読ませていただくからです。
あるいは読者さんから寄せられたコメントを読んでいるときだってそうですね。
あるときは先輩になり、あるときは後輩になる。
先輩だと思っていたものが後輩になり、後輩だと思っていたものが先輩になったとき、僕は会社や家族や社会で経験的に学んできた「上下関係は固定されたもの」だという常識は実は嘘なんだな、と気づきました。
何かに関しての先発とか後発なんてものはそもそも存在しない、僕はそう考えています。
僕が会社で働いていて精神病になった理由は、直接的には長時間労働にあるのでしょうが、今考えるともっと深い部分、つまり「上下関係が固定されている会社という場に僕が適応できなかった、その場を理解することができなかった」ことにあると考えています。
あの場所は、僕が考える「先輩」と「後輩」のバランスが保てていないんです。
先輩は常に先輩のままで、後輩である僕は常に後輩のまま。
僕は学びを得るばかりで、それをアウトプットする機会や場所がほとんどなかった。
それが原因で、病気になったんだと思うのです。
人体に置き換えて考えればある意味当たり前のことで、いくら質のいいオーガニックな食事を採ったって、それの不要な部分が体から出ていかなければ、排泄がままならなければ身体は壊れていきます。
インプットとアウトプットのアンバランスさ、「学び」に過剰にウェイトが置かれたことが発病の本質的な原因だと今では思うのです(会社の同期とは今も仲良くしています。年齢こそ違いますが上下関係がもともと存在しない関係、どちらも学びあい、教えあえる関係だからでしょう)。
僕が考える上下関係とはどちらかがずっと学ぶわけではなく、どちらかがずっと教えるわけではない、常に流動的で瞬間瞬間に入れ替わる、「学びあい、教えあう関係」なのです。
学んでいるとき自分は後輩になり、教えているとき自分は先輩になる、そう僕は思うのです。
・・・テーマにきちんと沿えているかどうか微妙なところですが、結論としては、学生時代、アルバイト時代にテーマである「後発を認めることができた」、従来の上下関係とは違う本当の上下関係に気づけた、ということになるでしょうか。
後発というか、僕が僕自身を認めることができた、と言う方が正しいのかもしれません。
こはく
PS.
さっき「バランスが崩れたから僕は病気になった」ということを書きましたが、適切なバランスであればどちらかに偏り「気味」になることは良いことだと思います。
後輩になる時間が多い人は、学んでいる時間が多いということ。
つまり成長の速度が半端ない人ってことです。
常に後輩の気持ちで日々を生きていると、多くの学びが得られると思うんですよね。
「僕はちっぽけな人間なんだ」
っていうのをポジティブな気持ちで捉えると、すごくいいのではないでしょうか。
だって、自分以外のもの全てから学びを得ることができるんですから。
ちくわ編集長の言うように、「いろぉんなことに興味をもって吸収」することが大事なのだと思います。
(編集・校閲責任:らららぎ)