《あ行》
アイスブレイク――愛嬌――アルミ――因縁をつける――打ちひしがれる――馬が合う――演繹――。
【アイスブレイク / 打ち解ける】(あいすぶれいく / 打ち解ける)――集団を結束させるためにお互いの関係を開通させるための柔軟運動(a facilitation exercise intended to help a group to begin the process of forming themselves into a team)のこと。
「氷を割る」というのは比喩ですが、お互いの緊張を緩和するという狙いを持ったアクションのことを言います。基本的には、ふざけた冗談とか、自分の恥ずかしいことを赤裸々に告白したりすることが求められており、初歩的なものでは握手とか笑顔だったりするものです。
打ち解けるという言葉ですが、中国語の辞書には「13:打――建造(build)」とあります。たとえば、
うどんを"打つ"(=作る)とか、
船を"打つ"(=造る)などが日本にも入ってきていますね。もうひとつ中国語に「動詞を強調する」ための語法として「打つ」を使うときがあります――「打開」「打破」。
これらの中国語の用法から、「良い関係を作って理解をする」や「本当に本当に理解する」という意味で、「打ち解ける」と言うのかもしれません。
最近、就活やインターンの情報を探していて、よく目にするのが「アイスブレイク」という言葉。その言葉に連想するイメージ通り、初対面の相手との間にある冷たい緊張・氷を壊し、打ち解けるようにする活動のこと。この法則は、そんなアイスブレイクの1つでしょう。
(ないすとぅーみーとぅー / ねぎとろ)
【愛嬌】(あいきょう)――もともとは「愛敬」(あいぎゃう)と書き、読んで字のごとく人から好かれたり、敬意を払われたりする人間性のこと。そこから「かわいげ」に意味が特化していき、「なまめかしさ」を示す「嬌態」の字を使用。
「愛想」は(よいとかわるいとかの)評価であり、「愛嬌」は(あるとかないとかの)属性です。愛想なのか愛嬌なのか見抜くには、なかなか骨折れかもしれません。その証左として、「愛嬌をふりまく」という言葉が、「愛想をふりまく」と誤用されておりますね。
愛嬌というのは、人間的な《隙》のことを言うと思います。だれかがだれかに愛嬌を認めるとき、それはストイックさとか合理性(隙の無さ)とかではなく、むしろ「自分のために残されている余地」があれば、好意を抱くことができるでしょう。
余裕も愛嬌もある「ら」の音を、いつでも呼びたい。
(調音点で活躍している音の群れ / らららぎ)
【アルミ】(あるみ)――13番の元素。
マテリアル工学という「素材」の学問では、素材の特徴を端的に挙げていきます。たとえば、アルミニウムは、(1)軽い――鉄の35%。(2)強い――強度が高い。(3)耐食性が高い――酸化皮膜が表面にあるので腐りにくく、鉄のような赤錆が生じない。(4)加工しやすい――本文に出てくる「展延性」というものです。(5)美しい――白と銀の輝きを持っていて、それが長時間保たれるし、加工によってさらに輝く。(6)融点が低い――比較的に低い温度で溶けるので、リサイクル(マテリアルリサイクル)しやすい。(7)導電率が高い――比較的に軽い重さで電気を流せる。などなど、書いてたらキリがなくなるほど特徴があります。
今年の1月には、外車のフォードが、車を全面的にアルミニウムすると宣言しましたね。アルミニウムは軽くて加工しやすくて美しいのですが、接合するための技術が難しく――たとえば、熱しているときに酸化しやすく入熱に厳しい管理が必要だったり、溶接の順序をうまくやらないとすぐにひずんだり、フローボールができたり、割れたり、表面の酸化皮膜を作業前に取り除く必要があったり――かつ、価格が2〜3倍程度で変動するため、どうしても高級車になってしまいがちで、一般用にするのは難しいです。日本でも、1900年代の終わりあたりから、部品部品をアルミ化していくようになっていますね。今後に期待です。
例えばアルミホイルや金箔、硬貨などがこの展延性を利用して作られていますね。アルミや金をプレスして紙よりももっともっと薄くしたものがホイル・箔ですし、硬貨は特定の形をした金型で同様にプレスすることで、僕らが使っている500円玉や100円玉が作られていたりするわけです。
(のびる、ひろがる / こはく)
【因縁をつける】(いんねんをつける)――理不尽な理由を無理やり当てはめて、相手を脅したり、不利にしたりすること。
因縁というのは、仏教で「因縁生起」とよばれ、あらゆることには「直接的あるいは間接的な原因」があり、それらがすべて関わり合いながら生じるという考え方です。その性質から、割りとむちゃくちゃなことを言うのが仏教人で、たとえば「牛が人間にひどく扱われるのは、前世でよくない行いをしたからである」のように超越的な結びつけをすることがあります。
「いちゃもんをつける」「超越的に理不尽に結びつける」「こじつける」(故事などの過去の――架空の――物語をあてはめる)など、外部のロジックを利用することは「つける」という動詞で表現されるみたいですね。付けるというのは、「合わせる」という恣意的な行為ですから、確かにぴったりの表現に思えます。
理由はなんだったか覚えてはいませんでしたが、中学生の時には良くわからん理由で因縁をつけて殴られたり、学ランをトイレで水浸しにされたりなどがありました。
(復讐 / めがね)
【打ちひしがれる】(うちひしがれる)――精神的に参って落ち込むこと。
もともと「菱」(ひし)という葉があり、その実がつぶれたような形をしているから、「ひしぐ=つぶす」というようになりました。また、「ひしぐ」(拉ぐ)という漢字があてられたのは、中国語で「拉」は「摧」であり、「折って断つ」という意味だったからでしょう。(「打つ」については、【アイスブレイク】の項目を参照してください)。
「潰される=打ちひしがれる」という受け身で使うことがほとんどで、その主因となるものをもってきて「絶望に打ちひしがれる」「悲しみに打ちひしがれる」と使うようです。
「失意に打ちひしがれる」というのは、「がっかりすることでへこんだ」という微妙な表現になっていますが、意味は通用するし、おそらく「絶望に――」のパラフレーズでしょう。検索にもいくつか当たります。
時に大学で言われたことを思い出し、失意にうちひしがれながら歩く日もある。
(歩いて帰る道 / ドーナツ)
【馬が合う】(うまがあう)――意気投合する様子。やさしい馴化。全体的な馴良さ。
馬といえば、BMWのことを「宝馬」と表現するぐらい馬と文明が密接に関わっているモンゴルや中国(馬のつく語が300程度ある!)ですが、私の調べた限りでは日本独自の表現のようです。そもそも彼らは「合う」というよりか、馬の耳をひっぱって無理やり跨って「格闘するようにして飼い馴らす」ので、こういう表現が生まれないのかもしれません。基本的には、馬のように「クセのあるもの」との相性のよさをいうときに使うようです。
ただ一緒にいるだけで心地良いだとかこの人と一緒にいる空気感が好きだとか、単純に馬が合うだとかそういった関係性の人々だと私は思っています。
(帰り道というショートショート / めがね)
【演繹】(えんえき)――いまある理論や前提を、ある何かに当てはめてみて、結論を予測する判断の仕方のこと。
たとえば、
「人間は必ず死ぬ」(いまある理論)→「私は人間である」(理論を当てはめる情報)→「だから、私は死ぬ」(結論を予測する)みたいに考えることを原則的に「演繹」といいます。形式論理学とか数式論理学という学問の範囲なので、興味のある方はお調べください。難しそうな記号たちが難しそうな顔で待っております。
もちろん法則というのは演繹的だから、(いつだってそうなる保証はないため)一回一回の適用がギャンブルになるけれど、
(人を呪わば穴二つ - シャッフルされる主語 / らららぎ)