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みんなでしんがり思索隊

書いてみよう、それは案外、いいことだ。 / 載せてみよう、みんなで書いた、幻想稿。
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自己欺瞞そんなに悪い事かね/著者:めがね -ch32

「”嘘”は嫌いかね?私は嫌いでね。よく”嘘”をつく生徒を怒った事がある。」
「”嘘”をついてまで生きて何の価値があるのかと。そうしたら彼女はこう答えた。」
「”嘘”は自分についている本当の自分はとても卑怯で臆病だから人に見せられないと。」
「だが、その”嘘”のおかげで周りは笑ってくれてそして幸せになる。そんな嘘もあるんですよ…と。」
『そしてね先生!”嘘”が”真実”になる瞬間があるんだよ!』
(マジェスティックプリンス第3巻ep13)

はい。どうもお久しぶりです。めがねです。
もうね。彼此何ンヶ月ですか。更新止まってますね。忙しいですね。忙しいですよ。
皆さんもお忙しいでしょう。残念ながら、皆さんのお忙しさは僕には全くわからないですし、気持ちをお察しすることも叶いません。そんなの個人のアレなので。

GWも終って鬱々悶々としている方もいらっしゃるでしょう。
ここでね。一回気持ちを切り替える的な事を踏まえて、一本書こうと重い腰を上げた次第ですよ。

”嘘”は一般的に悪い事とされています。まぁ「オレオレ詐欺」だとか最近(少し前)聞いたのは「マイナンバー詐欺」ですか。まぁ大体が刑務所にブチ込まれるような悪い事です。

しかし上で挙げたような”嘘”は果たして悪いことでしょうか。僕個人としては悪い事とは思いません。基本的には僕は”嘘”があまり好きではないです。
しかし、ながら人間というのは一人では生きていけません。生きている以上何かのコミュニティに属さないと天才でなくては生きていけないでしょう。否。天才であっても評価する他者がいなければ生きていけません。著名な芸術家の幾人かは生前は評価されず、没後その作品を評価された話を聞くように天才がそうならば凡人の僕たちは、なおの事そうでしょう。
日本ではよっぽどの理由が無い限り、否応なしに義務教育という名のコミュニティに問答無用でぶち込まれます。
たしか、いつかのブログでイジメに等しい”弄り”と称される行為を僕が受けていた事を書いた覚えがあります。
そう。丁度この時期僕は僕自身に”嘘”をつきました。
『僕は一人でも生きていける強い人間である。こんな徒党を組まないと何も出来ない単細胞のゴミ共とは違う』と。
本当は人と触れ合う事、話し合う事はとても良い事なのだけれども、この時期僕は頑なに心を閉ざしました。そうでもしないと本当に辛くて惨めで情けなくて、あのままでは生きていけなかったから。
その経験があってか、どうにかこうにか今も生きていて、精神的に他人に依存することなく敵を作りまくっても平気でヘラヘラのうのうとズケズケとものを言い生きていく今の人格が形成されました。あの日の”嘘”が”真実”になった訳です。めでたしめでたし。

動物でも植物でも昆虫でさえ生きる為に擬態なんかで”嘘”をつくのだから人間が自分、他人を守る為に"嘘"をつくのは必然ではなかろうか。
友人の好きな女の子に告白され、自分も好きだったが友人の方が大事なので断った。
彼氏(彼女)の浮気を知ってしまったが知らないふりをした。別にいいじゃないか。
相手が格上のチームだと知っていても”俺たちのほうが強い”と鼓舞をする。大いに結構。

自分を鼓舞する為の”嘘”であったり、誰かを気遣ってつく”嘘”であったり、生きるために自分に”嘘”をつく。

最終的にその”嘘”が”真実”にさえなれば何の問題もない。
ただその”嘘”が誰かを傷つける”嘘”であれば直ちに止めたほうがいい。
その誰かが「自分自身」なら尚の事である。
”嘘”をつくなら他人も自分も幸せになるようなものにしよう。そうしよう。

おあとがよろしくなくても終わる。
終わるったら終わる。





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きのたけ紛争の平和的解決について / 著者:エアリーズ - ch15

_2016年あけましておめでとうございます。(ⅰ)エアリーズです。

 だいぶ久々の寄稿になってしまいましたが、ちょっと前から考えていたのもあり、このきあずまについて私なりの観点から ― それはつまり法的な何か(ⅱ)なのですが ― 考えてみたいと思います。


 「きのこたけのこ戦争の理想的な終わり方」これを考えるにあたっては、はじめにきのこたけのこ戦争(以下、短縮して ”きのたけ戦争” と呼びます)の性質について検討しなければなりません。

 そもそも戦争とは何なのでしょうか? それは宣戦布告(ⅲ)によって始まり双方の武力の行使を伴う国際紛争を指します。現在は宣戦布告が行われない戦争のみになり、また国境を超えない、いわゆる内戦も問題となってきたので戦争の代わりに「武力紛争」ということも多いです。

 では、きのたけ戦争はどうでしょうか?

 宣戦布告はありませんね。そもそも国境を越えてはいません。しかし日本国内の内戦なら「非国際的武力紛争」として戦争と取り扱うことも可能です。

 しかしここで一番の問題が発生します。武力衝突を伴っていないのです。

 武力とは軍隊等(一般には部下に対して責任を負う指揮官の下に組織された武装集団)による力の行使で、その衝突とは武器を使用することを指します。

 今のところたけのこの里支持者(以下、里の者)ときのこの山支持者(以下、山の民)が武力衝突したという話は聞きません。というかそんな事態になっていればもっと大問題です。

 しかしこの結論も大変です。つまりきのたけ戦争は「戦争」ではないのですから。

 とはいえ武力を伴わない、つまり双方が主張をぶつけているだけの問題というのもあります。そういうものは単に「紛争」と呼ばれます。

 よって以降、ここでは「きのたけ戦争」ではなく「きのたけ紛争」と呼ぶことにしましょう。


 さて、性質も定まったところで次の「理想的な終わり方」について検討することにしましょう。

 紛争の最終的かつ決定的な決着のつけ方は戦争をすることです。戦争を行い勝った方の意見を負けた方に呑ませれば如何なる問題も決定的に解決します。

 しかし、現代の法は可能な限りこの手段を行わないようにさまざまなルールを用意しています。 (ⅳ)やはり一つの問題のために多くの命が失われる事態というのは避けたいものです。

 そこで私たちもきのたけ紛争が最終的に武力衝突となって解決するのは理想に反するとしましょう。

 では何なら「理想的」と言えるでしょうか。

 武力衝突を伴わずに紛争を解決する方法。これを国際法上は紛争の「平和的解決手段」といいます。この手段はさまざまありますが、主に国連憲章33条に列挙されたものをいいます。

 それは「交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機関又は地域的取極の利用その他」を指しますが、例えば「交渉」とは二者間の直接的な話し合い、「仲介」は第三者が話し合いの間に入って意見を調整することを言います。

 いろいろと列挙されていますが、おおむね右に示されたもの程決定力が強いとされています。きのたけ紛争に関していえば地域的機関・地域的取極(条約)はありませんし、司法的解決(国際司法裁判所に付託)は出来ませんので、一番決定力が高いのは仲裁裁判ということになるでしょう。そこでここではより抽象的に仲裁の仕組みを見ていくことにします。

 仲裁とは、紛争当事者が互いに仲裁者の下した判断に従うことを同意したうえで仲裁者に判断を仰ぐ方法を言います。

 いわば自分たちで裁判所を作り第三者を裁判官にして判決を下させる(ⅴ)方法です。中世まで戦争の講和によく用いられていたようです。

 国際法上は常設仲裁裁判所という組織もあり、たとえばもし国家間が仲裁裁判を行うと決めたら第三国から3人、さらに各当事者から1人の裁判官を任命して裁判を行う等しています。


 さてこうしてみていくと、きのたけ紛争の理想的な終わり方は仲裁による平和的解決と言えそうです。以下具体的に提案をしてみます。

 まず里の者と山の民がそれぞれ仲裁の結果を確定的なものであるとして事前に決定します。(ⅵ) そのうえでそれぞれ1人の代表者を選出します。

 次に第三者ですが、全体的な経営規模がきのこの里、たけのこの山を販売する明治製菓より大きい別企業で、きのこ・たけのことは別に一定の支持層のいるお菓子ということでここではロッテのトッポにしましょう。そうです「それに比べてトッポはいいよね、中までチョコたっぷりだもん」の人たち(以下、トッポ民)です。(ⅶ)

 トッポ民より3人の代表者を選出し、さらに互選で1人を裁判長に任命します。

 よってこの3人のトッポ民と各1人の里の者・山の民からなる計5人の「きのこたけのこ仲裁裁判所」を臨時に開設しそれぞれ当事者の主張を聞いたうえで5人の話し合いからきのこ・たけのこのどちらがどの点で良いのか「裁判所判決」を下します。

 これによってきのたけ紛争は双方の事前同意を援用して最も理想的な形(少なくともそうみなされること)で解決・終了するのです 。(ⅷ)

 以上です。ご精読ありがとうございました。




(ⅰ)1/27 20:00確認段階では私が今年最初の投稿のようだったので

(ⅱ)ただし、これはあくまで法的に確立された制度や理論を用いて解決策を提示する一つの思考実験であって、法的な手段を提示するものではないのでご了承いただきたい。

(ⅲ)詳細は開戦ニ関スル条約(1910/1/26発効)

(ⅳ)例として不戦条約(1929/7/24発効)1条に戦争の放棄が、国連憲章(1945/10/24発効)2条4項に武力行使を控えるべきことが規定されている。

(ⅴ)これは判決(確定判決)なので覆すことはできず上訴などもできない。

(ⅵ)もし、この決定がなされないときは仲裁は出来ない。その場合は先述の国連憲章33条に規定される「調停」が一番良いだろう。ここでは第三者を交えた調停委員会(構成は後述の仲裁裁判所と同じでよい)によって調停案(仲裁判決に相当)を提示し、これを両当事者が受諾することによって解決する。もし双方一方でも呑めないときはその理由をつけて拒否することでさらに改正した調停案を作成するのである。

(ⅶ)なお、筆者はどちらかといえば里の者なのであって少なくともトッポ民ではない。もちろん里に有利になるように配慮してはいないし国連憲章以下の平和的解決手段はその中立性も担保される。

(ⅷ)なお、もし話し合いが円満に決着しないときや一方が強く反対したとき等はどのような話し合いが行われたか議事録を公開したり、反対意見を別に記載することにより問題の解決がより建設的なものになると考える。




(編集責任:ちくわ)

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帰り道の思い出 / 著者:あめ子 - ch4

私が経験したこれまでの帰り道を考えてみると、自分の足で帰った経験が一人暮らしをするまでほとんどありませんでした。

保育園、小学校、中学校、高校、その殆どが家族による送迎です。ありえない程山の奥にあった実家に住んでいた私にとって、何処かに行くには誰かの力を借りねばいけなかったのです。私の家までの帰り道には、鹿・猿・猪が出るのは当たり前ですし、当時街灯もなく公共交通機関も側になかったので、必然と送迎になってしまった訳です。

特に小学生の時が厳しくて、学校が終わったら公衆電話から家族に連絡して迎えに来てもらっていました。仲のいい友人たちが一緒に帰っていく中で、一人ぽつんと体育館裏やベンチで本を読んでいて、本の世界に触れていたのです。こうやって書くと文学少女っぽいですが、実際はテニスの王子様を読んでました。


しかし…といいますか、楽しそうに帰っていく友達の姿だけを見つめる日々を過ごし、次の日友人の話題に「昨日の帰り道」が出てくるともうついていけません。案の定、私は誰かと一緒に帰ること、放課後に友人と遊ぶこと、そして歩いて帰ることにとてつもない羨望を抱いたのです。ある時は、祖父母に黙って友達と歩いて帰ったこともありました。同じ方向に帰る友達も少ない上、一緒に帰ることができる時間は僅かなものでしたが、本当に楽しかった。「ただいま!」と帰ってきた時の祖父の驚いた顔は忘れません。またある時は、放課後に友人との遊びに夢中になりすぎて、祖父母に探されたこともありました(お転婆娘だったのです)。そして母にめちゃくちゃ怒られました。中学校に上がるとまた事情が変わってくるのですが、私の小学校6年間は凡そそのようなものでした。



あぁ、思い出に耽ってしまいました。私にとって帰り道といえば、車からの風景だった。そして、ここからが本題。誰かと一緒に帰ることに憧れを抱いた私の「好きな帰り道」は高校時代にあります。

それは当時付き合っていた方と帰ったある日の帰り道です。どのタイミングだったのか忘れてしまいました。なかなか学校で話せなかった私たちは、放課後の時間を共有することでお互いの距離を縮めようとしました。

その放課後の時間の共有の方法といいますのが、一緒に帰るということです。

といっても、高校から彼の家まで自転車で20分の距離に対し、私の家まではその数倍かかる距離でした。幸いにも同じ方角ではあったので、私たちはたまに彼の家の近くまで「歩いて一緒に帰った」のです。その後私がどうやって家まで帰っていたのかは忘れてしまいました。ただ、国道を通ったら知り合いに見られて恥ずかしいため裏道を歩いて帰ったことははっきり覚えています。普通に歩いて行くより倍の時間がかかりましたが、その方がきっと私は嬉しかった。

勉強したり部活動をしたり、毎日を忙しなく過ごしていたあの頃のとある日の出来事です。いつものように彼は自電車を押しながら、私はその横を歩きながら帰っていました。夕日が照らす、9月の終わり頃に彼が「二人乗りする?」と私に聞きました。その頃は二人乗りが違法などとつゆ知らず(当時違法だったか未確認)、二つ返事で了承し荷台に腰掛けました。映画「耳をすませば」の二人乗りシーンを想像していただければわかりやすいかと思います。最初は安定しなかった自電車がゆっくり走り始め、ぼーっと流れる景色を見つめていたのです。どこまでも続く田畑、山際に沈み始めた赤い夕日、心地いい風が吹いていて、秋を感じ少し物悲しくなったその瞬間、「私はこの景色を絶対に忘れないだろう」という予感がしました。予感というよりもう確信です。最初から分かっていたかのように、理由はわからないまま、そこに何の疑いを挟む余地なく確信したのです。



今でもあの時の風景、空間を切り取ってしまったかのようにいつだって思い出すことができます。名探偵カメラちゃんばりの記憶力です。カシャってシャッター音は聞こえませんでした、残念。しかしその時の彼の背中の広さとかそういった物は一切覚えてないのが我ながら清々しいです。

結局、そのあと右折した際に彼はバランスを崩して、私は自電車ごと後ろに倒れてしまったのです。彼はひらりと身を翻し無傷で、私は腰の青じんたんと擦り傷をこさえてしまいました。皆さん、二人乗りは危険です。


私の好きな帰り道…というよりは私の忘れられない帰り道の思い出になってしまいましたが、結構この思い出が好きだったりします。きっと大切な記憶なのでしょう。


ここまでお付き合いくださって本当にありがとうございます。

おわり。





(編集責任:ちくわ)

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夏のはじめに、夏の終わりを思い出す。 / 著者:ちくわ - ch16

(この記事は7月に書いたまま公開し損ねていたものです)

僕が、僕たちが思い描く「夏」が、幻想だということはわかっている。でもそれなら、時折どうしようもなく感じるあの夏の憧憬はなんなのか。
夏が、来る……!!」 - しっきーのブログ
" ぼくの " 夏ということであれば、それは幻想でも夢でもない。いや、幻想でも夢でもあるのだけれど、少なくとも指し示すことができる夏のように思う。具体的な、興醒めするほど具体的な夏だと思う。ナツという響きの内に、肌に感じる刺すような陽射しの中に、細田守映画に出てきそうなでっかい入道雲の向こうに、青すぎる青空の奥に、蝉による期間限定大合唱の裏に、あの夏が、あの夏休みが、あの夏の日が、重なりあっている。何重にもダブりながら、そこに見え隠れしている。

けっきょくぼくの夏というのは、天神の地下街を駆け抜けて駿台の夏期講習に向かっていた19歳の夏の日であり、高総文祭を横目に模擬試験を受けていた18歳の夏の日であり、芝居稽古の合間を縫って親友と海へ川へ撮影に出かけていた17歳の夏の日であり、夏祭りに行けなくて悔しかった(未だに悔恨を語れる程度には悔しかった)16歳の夏であり、その前年あの子たちと行った15歳の夏祭りであり、そして何度も戻ろうとした一度きりの14歳の夏休みなんだ。

ぼくらの知ってる夏はいつだって過去にある。ぼくの場合は23個の夏を知っているけれど、それはすべて終わっている。当たり前とはいえ、忘れていないだろうか。つまり、始まったばかりにこんなことを言うのもどうかと思うけれど、夏には終わりがつきまとう。終わりの気配がつきまとう。過去はいつだって気づいたら過去になっていて、夏はいつだって過去形で語られる。幾度時をかけようと、何万回夏休みを繰り返そうと、どれだけ世界線を移動しようとも、ぼくらの心に刺さっているのはあの「夏の終わり」だけである。なーつのおーわーりー。

たとえば14歳の夏、もうあちこちで語ったことなので深くは書かないけれど、四人の友だちとあるイベントに向けて準備をしていて、確か九月の頭がその本戦だった。ぼくらは一回戦で負け、同じ日にそのイベントも終了した。ぼくの好きだった女の子は「来年も出ようね」と約束してくれて、もうひとりのほわほわした女の子は最後までほわほわしていて、ぼくは「勝ちはなかったけど価値はあった」とかよくわからないことをぼそぼそ言った。大会は予定より長引いて、終わったころにはとっぷりと日が暮れていた。ぼくらはまだ中学生で、夜には家に帰らねばならなくて、真っ暗な空に急かされるように解散した。終わりを惜しむ暇もなく、挨拶もそこそこに。

けっきょく、それきりだった。あれきりだった。あの女の子の約束も果たされることはなく(諦めきれなかったぼくは来年まったく別のメンバを揃えて同じ大会に出ることになるのだけれどそれはまた別のお話で)、それ以降あの五人でいっしょに遊ぶことさえなかった。中学生らしいさまざまな人間関係的なあれこれがあったりなかったり、ともかく五人で会いづらくなって、しようしようと言っていた打ち上げもついにしなかったと思う。それがあまりにあっけなくて、「いっしょにどこどこに遊びに行こ〜」とか言ってたほわほわした女の子のほうにぐちぐち電話したことがあって、その子に「会えるよ、生きてさえいれば」と慰められたのをなぜだか覚えている。こうして、14歳の夏は終わった、いや、ほんとは終わってなくて、数年間求め続けることになって、終えることも追えることもないまま、数年さまようことになる。けど、それも別のお話。とにもかくにも、ぼくが14歳の夏を思い出すとき、まっさきに思い出すのはその終わり ― 「終わらなかったけど終わった『終わり』」だ。

また別の夏の終わりには演劇の公演があって、その夜に舞台はバラされて、ひとつの世界が ― ひと夏の世界が ― 消えた。ある夏は高校最後の文化祭があっていろんなものが終わった。たまたま同じ時期に自分の街で高総文祭があって、始まりすらしなかった世界に静かに涙した。始まりもしなかったはずのそれもまた終わった。ある夏とある夏とある夏は「二次試験まであと半年…」とかいいながら時間のあったはずの夏が消えていくのを惜しんでいた。

いつからか、夏の始まりに気づくのは実家から遠く離れた地での出来事となった。それでもいつも夏には帰省して、夏の終わりはいつも地元で体験した。一年前は、同級生たちの学生"最後"の夏で、四部作となった自主制作映画もどきの"完結編"をつくった。"卒業"した高校の文化祭の"エンディング"に流す動画をつくった。先生は「さすがにお前たちに頼むのもこれが"最後"だろうと言った。そうしていつだって、夏が終わると東京へと戻ってくるのだ。

夏にはいつも終わりがつきまとう。だってほら ― 「ああ、夏だな」って思うのは、線香花火が消える瞬間じゃあないか。

ハッピィマンデイに対するささやかな反逆のように、今年の7月20日は海の日で、奇しくもその前後に梅雨(今年は本当に雨雨雨雨でしたね)が明け、文句のつけようがないほど夏の始まりらしく夏が始まった。ぼくの暮らしている街では、それからは毎日びっくりするほどの青空が広がっていて、ああやっぱり始まったんだな…と覚悟を決めた。始まってそうそう、ぼくの周辺では、さっそく色んなことが終わり始めている。そして夏そのものもまた、終わり始めている。きっとまた遠からず、「夏だった」と回想することになるはずだ。すばらしいこと、なのだろう。

夏が来ると思い出すこと。

「ああ、夏は終わるんだ」。

おわり。
はじまり。

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chiasma32:「どうか自己欺瞞を語ってください」

【】





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さよなら、もう一人の僕 / 著者:エアリーズ - ch23


 タイトルを読んで「もう一人の僕」から遊戯王の話かな、とかドッペルゲンガーとかの話をするのかと考えられた方には申し訳ないのですが、少し雰囲気の違う内容になるかと思います。エアリーズです。

 そもそも、このキアズマでは自分自身というのを代替出来ない物の一つとして紹介していますが、私にはそう思えないのです。
 
 それは「自分がいなくても自分の代わりなんて幾らでもいる」というような思春期らしい失望感ではありません。「自分と全く同じ身体的、精神的特徴を備えた、今自分と認識している自分とは異なる『自分という他者』はあり得る」のではないか、ということなのです。

 当然現代の我々にとっては全くあり得ない話です。ですがそれは2015年現在の人類の技術では不可能という話であって、私には原理的に不可能ではないはずだ、と思えてなりません。

 つまりファンタジックなSFの話なのですが、もしお時間許すようでしたらお付き合い下さい。



 前のキアズマでも取り上げましたが、私、攻殻機動隊という作品のファンでして(と言っても通しで知っているのは一部のアニメ版だけなのですが)、その中でも印象に強く残っている話に「攻殻機動隊 Stand Alone Complex 第7話『偶像崇拝』」というのがあります。
 
 ネタバレになってしまいますので作品の内容に触れるのは避けたいのですが、どうしてもここでは必要ですので、関係するストーリーだけを軽く触れておきたいと思います。

とある国で民主革命を指導した英雄、マルセロ。頻繁に来日する彼のことを、主人公たち公安9課が探る。ヤクザとの会談を経てマルセロが向かった先はそのヤクザの保有する山奥の倉庫。実はマルセロの元の身体はこの施設で自己の身体的精神的に完全なコピーを作成するゴースト・ダビングによって既に死去しており、本国で度重なる暗殺を潜り抜けてきた英雄は実はその全てが「本物」でありコピーだったのだ。


 初めてこのストーリーを見たのは小学校の頃でしたが、これまで何度見てもその印象は薄れず、むしろ強くなっています。
 
 それは、攻殻機動隊の優れた演出による部分もあるのだとは思いますが、ゴースト・ダビングと呼ばれる自分自身の複製を作る架空の技術に単なるSFを超えた「未来らしさ」を感じたからかもしれません。

 

 今のところ人の意識やそれを司っているとされる脳は未解明なところが多く、脳は人体最後のフロンティアと言われることもあるようです。
 
 しかしフロンティアとは未開拓の土地を指す言葉で、未開拓というのはこれから順次開拓可能であるという前提に依っています。実際に画像認識など現代を支える多くの技術は、人間自身の認識能力が解明されるとともに発展しており、こうした電子技術が「我々に追いつく」ことは可能だと私は理解しています。

 機械が我々に追いつく。その一つの具体的な例が人間の身体的な配合、組成、思考、心理を丸ごとコピーするゴースト・ダビングなのです。



 さて、作中では「英雄としてのシンボルを維持する」ために用いられたゴースト・ダビング、他にも使い道はあるのでしょうか?
 
 これに似た例で言えば、『とある魔術の禁書目録』に登場する「シスターズ計画」が挙げられます。ヒロイン美坂美琴の超電磁砲と呼ばれる能力を転用するために、彼女のクローンである「シスター」を大量に生産するというものです。しかし、物理的な超能力者ならまだしも、人格のみのコピーは使い道としては不十分でしょう。人の記憶や思考では複製しても多様性に欠け創造性がありません。クローンの面に目を向けても思考までコピーする必要はありません。

 そこでもう一つの使い方を私は10年ほど前に考え出したことがあります。それは小説の形で纏めようと思ったのですが、未だに書けずにこの歳になってしまいました。大変手前味噌ではありますが、ここで簡単にご紹介します。

 

 つまり偉大な科学者、思想家などを死ぬ前に丸ごとダビングして「不老不死」にしてしまうという使い方です。私はそれが完成した世界で肉体を持たなくなった人がサイバー空間で生き延びるという話をたしか小学校五年生の頃に考えて小説にまとめようとしていました。

 丁度初めて『攻殻機動隊』でゴースト・ダビングの話を知ったころで、しかも当時3Dプリンターなどが紹介されていたために思いついたストーリーだったと思います。しかしこれが未だに書けない理由は、このダビングされた死に瀕する偉人達が自分の複製に対してなんと声をかけるのか。これが思いつかなかったからです。

 

 話がかなり脱線してしまいました。

 振り返って話を「自分の代わり」に戻しますと、このような自分の代わりが生まれたとき、我々はどのように反応するのでしょうか。
 パソコン黎明期に存在したという「人工無脳」のように自分がイメージした通りの、自分と同じ受け答えをするのではなく、自分と同じ経験、理解、感性その他の思考や心理をもって、しかも自らを「コピー」「ダビングされたもの」であると認知している「自分の代わり」「もう一人の自分」に、我々はなんと声をかけ「彼ら」は何と返すのでしょうか。

 また、自分自身を引き継ぎ半永久的に生き続ける「自分の代わり」のような何か、あるいは自分とある意味で同値な存在としての他者を我々はどう認識するのでしょうか。


 
 先程申し上げました通り、私はまだこれに自分なりの答えを見出せていません。しかしながら様々な媒体を通して我々の経験や考えが外部化される現在、これは一つの極端な思考実験として有意ではないかと思っています。
 
 ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。答えが出ず誠に申し訳ございませんが、今回はここまでとさせて頂きたいと思います。





P.S.作中で述べました「脳内を完全にダビングして不老不死にする」という発想、実際にある程度の構想は練られているそうで「マインド・アップローディング」と呼ばれるそうです。
 cf)WIRED「不老不死のいま:マインド・アップローディング」      
   http://wired.jp/2014/05/17/mind-uploading/






(編集・校正責任:らららぎ)

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